私が心を閉ざす始まり ~大切なものが見えなかった私~


はしもと のり子でございます。

会いにきてくださりありがとうございます。


ここ数年、私はゆとりのない日々を重ねていたのかも知れません。

昨年の暮れには自宅階段から落ちて、まさかの肋骨骨折。

さすがに翌日の仕事は日程を変更させて頂きましたが、

その2日後には片道2時間程要するお客様先で、仕事をしておりました。

そんな身体にも関わらず、何と大晦日まで締め切りに追われた仕事をしていました。


当然のことのように、

年明けの2日には高熱が出てしまい、数日寝込むことにもなりました。


熱などめったに出さない私なのですが、

仕事のオフに熱が出たり、体調を崩したりすることも何度かありました。


この時も「仕事がお休みの日で良かった~」などと思っていたのですから、

体調管理を軽んじていたのでしょう。


今、振り返れば、何と愚かなことか。

大切なことを問われた2020年に気付いたのでした。


緊急事態宣言が4月7日に出されましたが、私は、4月8日まで仕事をしており、

3月末まで関西国際空港での仕事もしていました。


3月の後半に、閑散とした空港の国際線ロビーを目の当たりにして、

とんでもないことになっていると思ったはずなのに…

契約を遂行する為の仕事を休まず続けていました。


もちろん、手洗い、消毒、マスクは必須で、

常に換気に気遣いながらでしたが、神経質なほどに気を遣っていましたが、

今、振り返ってみれば、自分の身を守ることだけの本質が見えていない無謀なことでした。


緊急事態宣言の出た翌日の大阪駅周辺の変わりように、

映画の場面なのか、夢なのか…

目の前に広がる見たことのない閑散な風景に身震いして

そこで初めて私は現実を見たのです。


その日を最後に、私は全く仕事をしない日が何か月も続きました。




4月9日からは、何の制約もない日々が続き、

1週間程は、書類などの整理でゆっくりと費やしました。


朝起きても、予定がない。

着る服にも迷わなくていい。

時間を気にする必要もない。


さぁ~自由を楽しんで!・・・と言われても、何をしたら良いのか・・・



4月15日から、2日に一度、母に葉書を出すことにしました。

外出もままならない母の楽しみになればと思ったからです。

全く外出しない私にとっても、ポストまでの数分の運動は貴重なものとなりました。


数日分を書き溜めしたりしながら、2か月半ほどで50通近くになりました。


でも、電話で些細なことで母と揉めてしまい葉書を書くのを止めてしまい、

再開するのも何か気が進まず、それっきりになってしまいましたが。


ただただ、日が過ぎていくだけの毎日でした。


テレビは新型コロナウイルスのことばかり、


自粛期間中に、〇〇を楽しんでいます。

○○の勉強をしています。

前からしたかった〇〇をしています。

etc…


それらを見聞きする度に、

「すごいね」と思いながら、何もできない自分を責めた日々でした。


今から思えば休息が必要だったのでしょう。

見事に何もしない日々でしたから。


ホントに見事に。


家族が心配しても、何もできずじまいで時が流れ

私は家の中に微動だにしない状態でした。


もうこれ以上、

動かないと危険ですよという状況の中で、


少しずつですが、

堅い殻が解けていくような出来事が

私を救ってくれたのです。



☆☆成長が早いです☆☆

兄弟の保護犬はこんなに大きくなりました。

この子たちは改めてご紹介します。