前回の大掃除の続きです。



掃除をしていて、

ふと、手が留まり時間が止まるのは、



私の子供への愛の証が出てきたときや、

子供たちの愛の表現に出会ったとき。


それから、私の新人時代の一生懸命な足跡。



どれもこれも、逃げずに誠実に真摯に向き合う私がそこに居ます。



家族を想い最善を尽くそうと


心を砕いている健気な私がそこに存在しています。



こんなに頑張らなくてもいいのに・・・


仕事では、背伸びをしながらも力を発揮しようとする、


努力家の私が溢れていました。



こんなに頑張らなくてもいいのに・・・



私は離婚をして、生きる為の仕事をして、


でも、やっぱり、自分らしく生きようと軌道修正をして、



自分らしくって何だろうと悩み、

色んなことを考え、くるくる同じところを行ったり来たりもして、

でも、生きてる。 生きてきた。 

今、私は笑っている。

人は強いんだな。。。


なんて、思いながら、思い出のものをあれこれ見ていると、

あるノートに、子供が熱を出したので、

義母に預けて会社に行った時のことが書かれていました。



「子供が気になる、


仕事をしながら一日中、子供のことを考えていた。



だけど、私は仕事も大好き。



いつかお母さんの生き方を分かってくれる時がくるだろう。



私の生き方を見せられるように頑張りたい。」




と締めくくられていました。




そんなことを書いていたのに、

その数か月後、私は退職したんですね。



退職理由は?と聞かれて、

思わず私の口から出た言葉。


「私は、熱の子供を残して会社に行けません…」



あの時の私は、周囲から期待されていて、仕事が大好きで、

妊婦用の制服も用意してもらって、

でも、あっさりあっけなく会社を辞めました。



後悔していなかったし、


それが私の選択だったから迷わなかった。


組織に縛られなくても違う働き方が出来るんじゃないか。



仕事は続けました。


講師という仕事と人材育成のコンサルタントとして、


自由に動けるように工夫しました。



あれから、20年以上の年月が経ちましたが、


最初の10年は自己犠牲の日々、間違った美徳を持って、


自分を苦しめていました。



今は、私は、あのノートの最後に書いてあった通り、


「子供に自分の輝いた生き方を見せたい」という想いで、


日々、磨きをかけています。




こんな感じで、


お掃除は横道にそれながらも、貴重な娘との時間でした。


大きく成長した娘は、

私の為に食事を用意してくれる。


お茶を用意してくれる。


夜には足をマッサージしてくれる。




こんな娘との時間も、


私が生きる原点なのだと、幸せを噛みしめています。



すっかり夜も更けて、


あれこれ娘と語り合いながら、眠りに着く前の幸せなひとときです。



☆☆懐かしの写真☆☆

入社2年目から後輩指導をしていました。
簡易扉まで作って本格的練習! 扉の前で資料を持って立っているのが私です。

でも悲しい事実ですが、時代を表す黒電話…(/_;)